『韓国のデジタル・デモクラシー』

韓国のデジタル・デモクラシー (集英社新書)

韓国のデジタル・デモクラシー (集英社新書)

韓国が日本の一歩先を行くブロードバンド大国といわれるようになって、もうかなりの月日が経った。最近の調査でもブロードバンドの世帯普及率は日本の約二倍だ。本書ではネットを通したコミュニケーションの爆発的浸透が、韓国政治の民主化の進展にいかに貢献したかが、感動的な大河ドラマさながらに描かれている。

著者は典型的な386世代(30代、80年代に学生運動を経験し、60年代生まれ)の感覚をもつ69年生まれ。60年代の軍部独裁以来の権威主義的な政治勢力の圧政から、市民勢力が徐々に成長し、民主主義を勝ちとり、現盧武鉉政権を成立させるまでの韓国政治史を、メディア事情もあわせて教えてくれる。

元来、韓国新聞界では<朝中東>(朝鮮日報中央日報東亜日報)といった保守系新聞が圧倒的なシェアを誇り、世論を強く主導してきた。それに対して近年では、一般市民からの募金によるハンギョレ新聞が登場、さらにインターネット新聞や政治コラムサイトが活発化し、これまでとは異なるメディア環境が生まれ、市民的な言論が流通する環境が生まれたことが豊富な具体例を挙げて語られる。紹介されるサイトのURLが記載されているのですぐに参照できるのがいい。

確かに政治の流れとして権威主義的な政治制度が次第に解体され、市民的な勢力が権力を獲得したのは事実だろうし、インターネット新聞・オーマイニュースの台頭や記者クラブの解体といったメディア事情の様変わりも肯定的に評価できることだろう。

しかし本書には、現盧武鉉政権への手放しの賞賛が感じられ違和感もぬぐえない。現政権の下ではネット上の表現の自由に規制を加えたり、掲示板での政治的な発言を実名制にしたりといった政策が進行している。さらにメディアの寡占化を規制する名目で導入しながら、言論統制につながっているとして国際的に評判の悪い、改正新聞法について、ほんのわずかしか解説していない。盧武鉉大統領は(本書刊行後の出来事だが)特定の新聞に月給一ヶ月分を寄付するという感覚の持ち主だ。いくら旧来の市民勢力に肩入れしているといっても、自分に都合のよい言論のみを優遇させる権力者の存在とは何なのか。

著者の主張は日本の政治も韓国の市民参加型政治から学ぶべき点もあるはずだと、どこか誇らしげで熱気に満ちている。日韓共催ワールドカップの時に街中が赤い服で埋め尽くされた群衆の光景を思い出させるような熱さだ。ただし、そこにまた、一色に反転してみせては美しさを演出する北朝鮮マスゲームのような熱狂と通底する心理を読みとるのは、うがち過ぎだろうか。研究者として、既に権力の座にある「市民派」を冷静に見つめる視線が、著者の次著には求められるだろう。